すべてはひとつ、ひとつはすべて

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”全ては一つであり、一つは全て”

 

これは私の根源的な思想であり、一生変わることのない考え。

まさにこの言葉の通りだが、全て(宇宙、無限)は個であり、個(人、細胞、原子)もまた全てを含むという意味である。

つまりは、全ては一点にまとまるということ。

ビックバン理論が正しければ、まさに極小の一点からこの宇宙は生まれ、無限に広がっている。始めは単なる”点”から始まったのだ。簡略化していえば、点が広がって、銀河ができ、太陽系ができ、地球ができ、人類が創造された。

始まりが一点であれば、別々の個体となってもその個体が持っている情報は同じだと考えることができる。

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人間を細かく見ていくと、上の図のようになる。

60兆個の細胞(タンパク質からできている)→分子→原子→原子核(陽子・中性子)→素粒子(点状ではなくひもからできているという考え=超ひも理論)

これらはどの人間ないし、動物でも同じようになっている。あとはDNAの設計(タンパク質を作るための設計図)が個体ごとに異なり、それぞれ別の人間になっているだけのこと。

 

インターネットの発展にみる収束


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Visualizing Friendships

インターネットの本質とは「瞬時にコミュニケーションがとれること」。電気が生まれ、電話機が発明され、携帯が生まれ、スマホが生まれ、アプリケーションが生まれ、ウェアラブルデバイス(身につけるデバイス)が生まれ、埋め込み型デバイス(グーグルのコンタクトレンズ型など)が生まれ、ゆくゆくは脳内チップなど身体の一部となっていくだろう。

その状態になればどうなるか?

答えは簡単。より瞬時にコミュニケーションが取れるようになる。わかりやすく言えば、”テレパシー”が実現する。これは言い換えれば、人類が一つになることを意味すると考えている。ある意味で原点回帰。瞬時に思ったこと、感じたことが共有され、1:70億のコミュニケーションが実現する。そして、「風が吹けば桶屋が儲かる」「バタフライエフェクト」という言葉があるように、誰かの思いや誰かの苦しみなどが瞬時に伝わり、もっとわかりやすく因果関係があらわになる。

このように、我々が認識しているこの世界は単に”点”が分裂しているだけなのだ。そのちらばった点を収束させようとしている段階がネットの発展している今の時代であると見ている。

 

人間という”点”から考える

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聖書をみれば、人間はアダムとイヴから始まったとある。その二人から広がり、現代では70億人の人間が存在する。元を辿れば、たったの二人なのだ。

本来、一つのものが単に分裂しているだけなので、そこには争う理由もなにもないはずだが、現代では争いは絶えない。理由は資本主義社会のもと、「お金」が存在しているから。イエス・キリストの「隣人を愛しなさい」という言葉が解決策の全てであると考えているが、そううまくはいかない。なぜなら、そこには70億人の思惑があるからだ。大枠で宗教別にみても、35%がキリスト教、22%がイスラム教、14%がヒンドゥー教、6%が仏教、0.2%がユダヤ教と、これだけ分かれる。更に国家、人種、資本力など細分化すればするほど、思惑の方向性はズレることになるだろう。

 

大切なことは、一旦全てを疑うこと

なぜ、宗教が存在するのか?そもそも宗教は存在するべきなのか?

なぜ、人は信仰するのか?なにを信仰しているのか?信仰によって、なにを得る?

預言者は違えど、崇めている神は三大宗教で共通の「唯一神ヤハウェ」である。

  • ユダヤ教:モーセ、旧約聖書+タルムード
  • キリスト教:イエス・キリスト、旧約聖書+新約聖書
  • イスラム教:ムハンマド、旧約聖書+コーラン

なぜ、同じ神様を別々の宗教で信仰しなければならないのだろうか?

そもそも、創造主をビックバン理論の点と解釈した場合、「全ては一つで、一つは全てである」にのっとり「自分は創造主であり、創造主もまた自分である(厳密にいえば、創造主の意思なのか、”何か”が自分にも宿っている)」という論理が成立するのではないだろうか。

つまり、なにも宗教を信仰する必要はない。その創造主とつながるための手段として宗教があり、人々にわかりやすく創造主の意思を伝えるために預言者が存在したのだ。預言者は神の言葉を伝えるためのあくまで仲介者。自分の中にその”何か”を感じ取ることができれば、もはや宗教の入り込む余地はない。また、この宇宙を「生命による創造の連続」と考えた場合、我々の創造主も他の創造主によって創造されたとなる。よって、我々の創造主も始めの創造主の仲介者となり、信仰の対象に成り得ないだろう。

つまるところ、創造のバトンタッチ(連続)をつなぎとめているもの、あえて言葉にすればそれは”愛”であろう。

なぜ、創造の連続が続くのか?破壊してもいいではないだろうか?

創造された者の行き着く先もまた”創造”なのである。

人間もまた、人工知能によって新たな生命(あえて生命と表現)を生み出そうとしているのは周知の事実である。創造するときに込めるもの、それが”愛”である。よって、この世界の本質は”愛”なのだ。宇宙を宇宙たらしめているもの。それは”何か”の意思なのか、”何か”の身体の一部なのか、”何か”の思いつきなのか、、、

その”何か”とは。それが創造主自身を指すのか、単なる点とみるのか。真実は文明がどこまで発展してもわからないだろうが、そこには自分の中にも感じるぬくもりのような”何か”があるはず。その”何か”こそ、”愛”の正体である。だからこそ、人は宗教で愛を語り、音楽で愛を奏で、詩で愛を謡い、言葉で愛を伝えているのだ。

 

抽象化の重要性

最後に、こうやっていま述べてきたことの中で行ったのは抽象化といった思考展開である。今回の話はどれも抽象的な話ばかりであったと思う。具体的な話はまたにするとして、さらっと全体の表面を述べたという感じ。抽象化とは、簡単に言えば抽象度を上げれば具体的ではなくなり、反対に抽象度を下げていけばより具体的になるということ。

この抽象化は世界をよりよく理解するためにとても重要なことでもあると考えている。ある物事を抽象度を上げてみていくことである段階で共通している点に気付くことは多々ある。

例えば、人間を考えてみると具体的にみれば原子から成り立っている。原子から抽象度を上げていくと、、、

原子<分子<細胞<男<人間<日本<地球<太陽系<天の川銀河<大宇宙<多元宇宙

最後には「宇宙」と、どんどん抽象化することができる。これを仮にFacebookのトップ画をレインボーにすることで一躍認知された「LGBT(同性愛者、両性愛者などの人々を意味する)」で考えてみると、そもそも男性・女性と考えるからややこしくなる。抽象度を上げ、同じ人間同士が愛し合うと考えれば、なにもおかしいことはない。つまり、男性・女性から抽象度を上げ、”人間”という共通項を見出すことによって、問題を問題として捉えないことが可能なのだ。このように狭い視野で収まらないようて、なにか問題に出くわした時には抽象度を上げることが重要である。

これは全てに当てはめることができ、数学や物理学、宗教学などの学問でも同様である。企業理念なども抽象化した本質を言っている。このように、具象化された世界(ちりばめられた点)を抽象的に理解していくことが人間の行ってきたことだと理解している。

文明は繰り返しているという考えではあるが、その文明の進化も抽象的な概念へ近づいていった姿である。よって、現代の一度リセットされた文明も抽象化していくことが重要となる。

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分裂され、ちりばめられた点をつなぎ合わせ、共通の意味を見出し、一つの点へと向かっていくことが、、、それがネットの発展による収束で伝えた内容である。バラバラになっている「人間という個の存在」「集合知としての全体」へ繋げるためにネットというものがあり、現代文明はそこに一直線に向かっているのは明らかである。

 

最後に行き着く先は一つ。

”全ては一つであり、一つは全て”を真に理解し、感じること。

 

そうすれば、愛というぬくもりを感じながら生きることができ、

隣人を愛せという言葉の意味も理解することもでき、人に心から優しくなれるだろう。

そんな人が増えれば、きっと社会はもっとより良くなる。

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