『魔法の世紀』を読んで デジタルネイチャーとは何か

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いやー面白かった!

読む前までの期待感をいい意味で裏切られました。

なにしろカバーしている情報の範囲が広い。そして自らメディアアーティストとして日々研究、制作に取り組んでいるので説得力も段違い。

 

内容を簡潔に伝えると、

「映像の世紀」から「魔法の世紀(充分に発展した科学はまるで魔法のようなもの)」に切り替わる。その魔法の世紀は何かと言うと、いわばコンピュータを中心に添えた社会だということ

つまり、人間が便利に使えるよう、人間の感覚にあった設計がされているありとあらゆるコンピュータや音声や映像などのメディア(人間中心のメディア装置)から、その人間の感覚を超越した設計のメディアへと変化するという。

ただここで著者が強調していた事が、かといってどちらかに優位性があるという話ではなくあくまで横並びの関係性にしておこうよという点。その包括するワードとして挙げているのが「デジタルネイチャー」。

後半部分はその「デジタルネイチャー」の世界観を解説している。

単純な図にするとこんな感じ。

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感じたこと(著者について)

●正確な歴史観とデータ

あらゆる歴史についてその源流まで遡り分析している。中でもパーソナルコンピュータの歴史はかなり厳密に書かれていた。アイバン・サザランドが今のスマホ普及までに影響を与えている点など。人物の関係性、出所などを元にそれらがどう影響を与え合っていて、その結果何が生まれたか、そして我々の生活にどう影響が与えられているかという点がとてもわかりやすかった。

●抽象化が素晴らしい

物事の解釈の視点。多面的に物事を捉え分析されている。例えば、下に書いているディズニーを判断する視点。他にも配車サービスのUberを自動ナビの車のインターフェ−スして人間を「半自動運転用ロボット」と「接客インターフェース」として捉えるなど。とても示唆に富んでいた。

●引用文献の少なさと英語文献が9割

読み終わって引用文献の少なさに驚いた。平均がどれくらいかはわからないが、オリジナリティをとても感じた。また、9割が英語の文献であり、本の内容からもそのカバーする知識量に驚いた。と同時に自分の知識の薄さに改めて気付く。

 

気になったキーワード

ディズニーを見る視点

彼らは映像を押さえた後に、今度はどうやったらこの物理的世界を支配できるかを徹底的に考えています。

Googleやアップルよりも長いスパンの思想であり、文化的な意味でのブランディングでもある。背景には、ヨーロッパのブランド企業のような長期的ビジョンがあるのではないでしょうか。なぜなら、コンピュータが売れ終わり、プラットフォームの拡大が成熟しきった時に、最も強くなるのがコンテンツ産業なのは明白だから

コンテンツ産業が最後に勝つ。ディズニーがコンテンツを取りにいってることに言及。それもすべては「この世界に魔法を実現する」というビジョンのもと。アクセラレータを始めたのも記憶に新しい。普段ネットにディズニーの情報はあまり挙がってこない(自分が見てないだけなのもあるが)が実は一番のテクノロジー企業なのかも。この視点は自分にとって新しかった。

ジェームズキャメロンはすごい

キャメロンのコンピュータへの適応能力は異常です。単に荘厳なCGの感動という「原理のゲーム」の暴力で世界を圧巻したわけですから

ハリウッドの興行収入において『アバター』『タイタニック』『ターミネーター2』とどれもトップクラス。

プラットフォーム=基盤

インフラ機能を集約して共有することで、その「基盤」の上で活動するコストを下げるのがプラットフォームの特徴

私たちの生活に必要な様々なものを汎用化して、共有させることで価値を提供。それは同時にあらゆるものが汎用化されて、共有されていく圧力を世界に与えている。

サイエンスとテクノロジー

産業革命以前は明確な区別はなかった。

産業革命以前、自然を機械的に扱う学問全般のことを、「アルテス・メカニケー(Artes Mechanicae」と呼ばれ、英語に輸入された時に「メカニカルアーツ(Mechanical Arts」と変わった。これは「リベラルアーツ(Liberal Arts」の対義語。そして日本ではそれを「技術」と訳された。

リベラルアーツ(Liberal Arts」が内側に向かう知性ならば、「アルテス・メカニケー(Artes Mechanicae」は外側に展開していく知性と言える。

テクノロジーの語源。ギリシャ語の「テクネ」→ドイツ語の「クンスト」→コツや技法を指す「テヒニーク」と、その学問としての「テヒノロジー」となる→「テクノロジー

エンジニアとデザイナー

両者の地位が向上した背景には、語源の出所が異なる点にある。

デザイン=下(De)に印(sign)をつけるという「テヒニーク」における対象物の設計という一分野を指す言葉だった

エンジニア=ラテン語で「天才」という意味の言葉の「インジニウム(Ingenium」が転じて「エンジニア(Engineer」になったという説が有力

産業革命の特徴は、モノを大量に消費する時代をもたらしたこと

デザイン

「デザイン」と「価値」の乖離ーすなわち「ブランド」の登場

表層と深層と価値の二回目の分離。ファッションの例を取れば、当時、大量生産品かオートクチュール(高級服=深層)しかなかった。ここにブランド(=価値)が登場。

エンジニア

エンジニアの歴史において決定的だったのが、特許の誕生。これによって、技術そのものが富を生むようになり、発明者が多額の富を手にする環境が整った。コンピュータの登場によって生まれたのがITエンジニア

エクスペリエンスデザインがより重要に

(スマホを見て、どうすれば実際に店舗まで行くかまでを設計するような領域)

 いかにリアルとネットが結びついた世界その全体性をデザインしプログラミングできるか、それこそが重要になる

デザインエンジニアの必要性は今後も高まっていく。デザインは表層、エンジニアリングは深層の問題を解決するという時代は終わる。今後は表層と深層の両方を意識的に解決することなしに、新しいプロダクトは生まれない。

メディアの変遷

壁画と彫刻(32千年前)→粘土による土偶や土器→画期的な「紙」の登場。西洋ではパピルスと羊皮紙。日本では紙漉きが行われ、屏風や絵巻物は上物であった。→「写真」の登場→映像

メディアの歴史とは、「自由度」が高くなる方へと進化してきた

可搬性という意味での「動」の自由度の発展こそが、映画からスマホなどのモバイル端末への流れを駆動してきたとても大きな要因である

フレームレート(当人の動き)とエーテル速度

西洋と東洋の違いが面白い。西洋ではモノに着目し、東洋はそのモノを取り巻く要素としての空間(エーテル)に着目するという傾向は、両者の文化の深いところに根ざしている

動と静を対比する美的感覚

街中では我々はエーテル的な意味での「静」と「動」を繰り返す存在。

この「静」と「動」の議論の中にある問題は、次のメディア装置の形を示唆している

→この視点も興味深かった。

 

 人とコンピュータの関係性において、人工物/自然物の二分法を超越した自然観を持たない限り、人間は人間の隣人を認めることができないのではないか

アナログvsデジタルのような二分法に陥らずに、人間とコンピュータの共生関係を考えるための現実的なフレームワークなのではないか

 

魔法の世紀

魔法の世紀

 

あまり関係ないが、Kindleに合う書籍とそうじゃない書籍があるなと感じる。今回の場合はテクノロジーよりの話が多かったのでデジタルな電子書籍が合ったのだろうか、、

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